※本来、札所15番は長坂の無量寺であるが、今回は三浦不動尊第20番札所浄楽寺にての出開帳となります。
《-無量寺-略縁起》
無量寺は文治五年(1189)に創建されました。開基は三浦一族の和田義盛です。創建当時の宗派は不祥。当初の阿弥陀如来は運慶作の三浦七阿弥陀のうちの一つで第三番目にあたることが分っています。
建武三年(1338)年に長坂郷を支配していた大伴氏泰が鎌倉淨智寺より中国僧竺仙梵僊(じくせんぼんせん)を招請して禅宗寺院の無量寿寺として開山されたと言われています。その後、庄蓮社厳譽壽道上人(天正十九年十月二十四日寂)により浄土宗となりました。
平成十年の阿弥陀三尊総修復時に阿弥陀如来像の体内から発見された銘札から、第五世三譽南秀上人の時代、寛文九年(1669)に火災によって焼失し、第六世曠譽南慶上人が貞享二年(1685)に間宮造酒丞(まみやみきのじょう)の多大なる協力を得、再興造像したこと、作者は運慶流の鎌倉扇谷大仏師後藤勘弥であることがわかりました。また、観音・勢至両菩薩は第九世陳譽音哲上人時代の明和四年(1767)に造立された事がわかりました。
三浦三十三観音札所の聖観音坐像は大正十二年の関東大震災で観音堂が大破し当寺本堂に移されました。
平成十年に阿弥陀三尊総修復(名古屋 近藤義峯仏師)、平成十九年に三浦札所の薬師如来並びに毘沙門天の修復(同仏師)を行い現在に至っています。
《-浄楽寺-略縁起》
出開帳先の浄楽寺の開創は不詳であるが、和田義盛が建立した阿弥陀堂を鎌倉光明寺の二世寂恵が中興したとされる。
国指定重要文化財の運慶による仏像5体を所蔵し、また「郵便の父」前島密の墓もある。